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Re.父と子と聖霊の御名によりアーメン。

 投稿者:こまいぬメール  投稿日:2008年 4月 2日(水)19時54分33秒
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  投稿者のお名前が変わるので、何とお呼びするのが適切かわかりません。
申し訳ありませんが、省略させていただきます。

>愛する人たち復讐は神に任せなさい『復讐はわたしのすること、
>わたしが報復する』と主は言われます。

興味深い内容です。私は一面でこれを否定し、一面で肯定します。

さて、黒住宗忠の『日々家内心得の事』の中に次の一条があります。

一、人の悪を見て己に悪心をます事

実はこれに尽きるのですが、もう少し丁寧に説明します。

復讐したいという気持ちが起こるということは、誰かが悪を行って
自分もしくは周囲の誰かが害を被ったということでしょう。

では、それに対して神様が復讐してくれるかというと、決して
そんなことはありません。本人が、自ら為した悪の報いを受ける
だけのことです。要は因果応報ということであって、そこに神様を
持ち出す必要はありません。

そもそも神様も、復讐するぐらいなら、はじめから止めればいいこと
です。止めもせずに、復讐はしてやるというのでは、ちょっと能力的に
疑問を持たざるを得ません。

神様が介入するとかいうことを考えるから、悪の問題とか、自由意志の
問題とか、ややこしく考えなければならなくなるのです。

悪であれ、善であれ、神様は後押しをします。区別はありません。
そして因果応報により、それにふさわしい結果を受け取ります。ただ、
それが神様が報復しているように見えるだけのことです(まあ、
広い意味で神様が復讐していると言えるのかもしれませんが)。

そもそも、神様が復讐するという発想の根本には、自分は正しい、善
であるという思いこみがあります。もしかしたら自分が間違っている
かもしれません。そういう思いこみの結果が、互いに相手に神罰が
下ることを祈る滑稽な姿として現れたりします。

ただ、これを一面で肯定するというのは、理屈は間違っていても、
そう信じることによって「復讐」という悪業を犯さずにすむからです。

相手は悪かもしれない。しかし、その悪を見て、自分の中に悪心を
増すとすれば、そこにも悪業が生じるわけです(業は身口意によって
造られる)。
そして、その悪業による悪の果報は自分自身に返ってきます。まったく
愚かしいことです。

というわけで、他の悪を見ても自らの中に悪心を増やさないことが
肝要です。因果応報の道理によって、相手が悪ければ悪い結果が
起こるだろうし、こちらが間違っていれば相応の結果になるだろうと
思っていればいいわけです。

ただし、悪心を増さないといっても、単純に隠忍自重せよということ
ではなく、その場に応じてふさわしい行動をしなければならないことは
言うまでもありません。

それはともかく、まあ、世の中には神様が復讐してくれると思うことで
悪心を増さずに済む人も少なくないでしょうから、そういう意味で、
それを肯定することにやぶさかではないわけです。

つまり方便として有効ということです。神様をそんなちっぽけな存在
として扱うことには、私自身は非常に抵抗がありますが、まあ、それほど
有害ということはないと思いますので。

とはいえ、神様による復讐を期待することが、一種の悪心であることは
心得ておく必要があります。肝心なのは神様にゆだねることで、自分に
都合のよい結果を期待するのは、正しい信仰とはいえません。
 
 
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