|
>近藤様
すっかり返答が遅くなってしまい、申し訳ありません。
一月余りバタバタしていて、今もそれは続いているのですが、
幸か不幸か、風邪で休まざるを得なくなったので、ようやく
落ち着く時間が取れました(インフルエンザではありません。
季節の変わり目と疲労が重なったようです)。
> う~ん、「嵐の恐ろしさを知らない現代人は、嵐を止めようとは思わない?
> 嵐の恐ろしさを知る昔の人々は、嵐を止めようと必死で祈った?」という
> 意味でしょうか?
いえ、嵐に対する人間の認識が変わっているということです。
我々現代人は、嵐を止めることはできなくても、それがどういう
原理で発生し、どの程度の規模で、いつ近づいて、ということを
知っています。つまり、嵐と付き合う上で余裕があるわけです。
天気予報を一切視聴しなければ、多少、昔の人々の感覚に近くなる
かも知れませんが、それでも嵐がどういう自然現象であるかを
知っていますから、むやみに恐れるということはないでしょう。
逆に言えば、嵐がどういう自然現象であるかを知っていますから、
祈ってそれが治まるとも考えないでしょう(それでも、生命の
危機にさらされれば祈るでしょうけど)。
というようなことから「嵐を止めようと思うな!」という言葉は、
現代人の余裕から出る言葉だと思うわけです。
まあ、それ自体がいい悪いという問題ではありませんが、やはり、
我々が過去を見て時代の限界を感じるのと同じように、今の自分
自身の中にも時代の限界を感じなければ、見えないものが見えない
ままに終わってしまうのではないだろうかと思います。無論、
自戒を込めてですが。
|
|