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補足:末木氏のことなど

 投稿者:こまいぬメール  投稿日:2008年 4月11日(金)10時09分10秒
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  > 末木氏が基本的に戦後の進歩的文化人の価値観に立脚し、それに
> 疑問を抱いていない点(私はそれに懐疑的)、

私が思うに、あらゆる価値観や思想、信条は絶対的なものではないことを
喝破したのが仏教なのです。常識、自明のことと思われるようなものでも、
それは自分が自分の経験や知識、価値観等に基づいてそう思っているに
過ぎません。別な視点から見れば、別な判断が下されるわけで、例えば
現代の我々にとって当然のことでも、未来から見れば愚かしいことかも
しれません。我々が最善と思うことでも、百年後の人から見れば、我々が
過去の人に対して言っているように、「時代的な限界」と言われることは
間違いないのです。

仏教の中核はそれを明らかにしたところにあります。

そういう観点からすれば、仏教を学びながら、既成の価値観を自明のものと
思い込んで疑うこともしないというのは不思議でしかたないのです。まあ、
仏教ではなく仏教学の専門家だから、しかたないかもしれませんが。

ただ、この方の誠実さ・真面目さは疑う余地のないもので、既成概念に
囚われないよう注意していることも、よくわかります。しかし、それだけに
ご本人が疑っていない部分、というより、そういう対象として意識すら
していない部分がはっきり現れるので、私としてはげんなりすることが
多いのです。

> 末木氏は学者であるのに対し、私は信仰の世界の人間であること(頭で
> 考えただけではとうてい思いつかないことがあります)、

これは説明するまでもないことですが、末木氏はこの点についても、むしろ
一般の仏教学者よりも理解があり、誠実であると思います。ただ、それだけに
わかっているつもりになっている…わかっていないのではないかという発想が
ない…ところが鼻につくわけです。むろん、ご本人にはまったくそういう
つもりはないと思いますし、事実、謙虚であろうとしていることも伝わって
きます。

以上のようなことですが、こう整理してみれば、立場が違うというより、
善人の無邪気な傲慢さがイヤ、というほうが正確でしょうか。

何しろ私は、そういう善人の無邪気な傲慢さが原因で人間不信になり、
引きこもりをしましたので、未だに悪人よりも無邪気な傲慢さを発揮する
善人のほうが嫌いなのです。言い換えれば、自分が善人であると認識
している善人(ただし往々にして、謙虚でなければならないと思っている
ので、現在意識では善人ではないと意識しようとしていることが多い)。

ただし、これも形だけ善人になろうとしている人(例えば姜○中氏のような)
と本当に善人であろうとしている人の二種類がおり、末木氏に関しては
後者であろうと思われます。しかし悲しいかな、本当の善人というのは、
自己の中の悪(あるいは煩悩)を自覚するところから出発するのであって、
それ抜きではいくら善人として生きても、無自覚に無邪気な傲慢さを
漂わせることになります。善人であろうとすることが、善人になることを
妨げるわけです。

興味深いのは、こういう無邪気な傲慢さを発揮する善人こそ、プロテスタントの
信仰による救いや、阿弥陀様の本願による救いからは一番遠い人たちなのですが、
現実には、むしろそういうところにたくさんいるということです。しかも、
本人たちは一生懸命善人をやりながら、意識の上では自分たちは罪人だとか
悪人だと思おうとしているのだから、笑うに笑えません。
 
 
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